キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。松岡洋右まつおかようすけこのキーワードで検索解説1880年3月生。山口県出身。1893年2月に渡米し、1901年にオレゴン州立大学法科を卒業して、同年8月に帰国。1904年10月に外交官及領事館試験に合格し、同年11月領事館補・上海在勤となる。1906年10月に関東都督府事務官に転任となり、同年11月関東都督府外事課長に就任。帰国後、1907年11月外務書記官・政務局勤務、1908年12月公使館三等書記官・ベルギー在勤(未赴任)、1909年2月公使館三等書記官・清国在勤、同年9月より1910年4月まで領事兼任・上海在勤、1910年9月公使館二等書記官、1912年8月大使館二等書記官・ロシア在勤、1913年10月大使館二等書記官・アメリカ在勤、1916年6月大使館一等書記官、1917年2月外務省臨時調査部勤務、1917年11月より1918年5月まで外務大臣秘書官兼任、1918年5月より同年9月まで総理大臣秘書官兼任、1919年2月講和会議全権随員、1920年3月外務省政務局勤務、同年5月在間島総領事(未赴任)を歴任し、1921年6月に依願免本官となる。1921年7月より1926年3月まで南満洲鉄道株式会社理事、1927年7月南満洲鉄道株式会社副社長を務め、1929年8月に辞職。1930年2月より1933年12月まで衆議院議員となり、1932年9月には外務省事務嘱託となる。1932年10月国際連盟臨時会議における日本帝国代表(親任待遇)を務め、1933年12月には政党解消連盟を結成した(1935年8月に解散)。1935年8月より南満洲鉄道株式会社総裁に就任し、1939年3月に辞任。1937年10月より1940年1月まで内閣参議、1940年7月より1941年7月まで外務大臣を務め、1940年7月から同年9月までは拓務大臣を兼務した。日本敗戦後、1945年11月にA級戦犯容疑者に指名され、1946年1月に巣鴨プリズンに入所。同年4月に起訴されたが、同年6月東大病院にて没。参考資料秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年、477頁。基本語(日本語)松岡洋右基本語(英語)Matsuoka Yosuke同義語松岡事務官松岡書記官松岡理事松岡満鉄副社長松岡満鉄総裁松岡外相松岡外務大臣松岡大臣松岡全権松岡代表関連語領事官補関東都督府事務官関東都督府外事課長外務書記官公使館三等書記官公使館二等書記官大使館二等書記官大使館一等書記官外務省臨時調査部外務大臣秘書官総理大臣秘書官外務省政務局南満洲鉄道株式会社理事満鉄理事南満洲鉄道株式会社副社長満鉄副社長南満洲鉄道株式会社総裁満鉄総裁内閣参議外務大臣拓務大臣松岡外相訪欧日独伊三国同盟日ソ中立条約日蘇中立条約上位カテゴリ外務省(官僚)このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00003705