キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会山口大学図書館辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。大阪商船会社おおさかしょうせんかいしゃこのキーワードで検索解説1884(明治17)年5月1日に大阪の中小船主55名が合同で、広瀬宰平を頭取として、大阪府川口富島町に設立された。その背景には、1877年頃瀬戸内海・九州航路において群小船主が乱立し、競争が激化して共倒れしかねない危機的状況があった。大阪商船会社は設立当初、資本金120万円、所有船舶は小型汽船93隻(平均100トン)の小規模な経営であったが、1888年から8年間、政府より年間5万円の助成金を受け、大阪から山陽・山陰・四国・九州・和歌山への定期航路を担うとともに、1890年7月には大阪―釜山間航路を開設し、1896年4月には台湾航路にも参入した。1898年に中橋徳五郎が社長となってからは、長江航路・華北・華南への航路も開設した。日露戦争の際には、汽船の4分の3を徴用されたが、残された小型船・チャーター船を使用して沿岸・近海航路での運航を継続した。日露戦争後は遠洋航路に進出し、香港・シアトル・タコマへと至る北米定期航路を開設、1913(大正2)年にはインド(ボンベイ)航路、第一次大戦期には南米・オーストラリア・南洋群島への航路も開設した。第一次世界大戦後には、アフリカ・カルカッタ・ニューヨークへの航路も開設した。1933年には130隻、53万余トンの船舶を有し、近海14線・遠洋15線を経営経営、国内では日本郵船会社に対抗する大海運会社となった。参考資料「大阪商船会社」(服部一馬執筆)丸山雍成・小風秀雅・中村尚史編『日本交通史辞典』吉川弘文館、2003年、135頁。基本語(日本語)大阪商船会社基本語(英語)Osaka Shosen Kaisha関連語日本郵船ぶらじる丸ブエノスアイレス丸上位カテゴリ国内企業このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00002423