キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。南満洲鉄道株式会社みなみまんしゅうてつどうかぶしきがいしゃこのキーワードで検索解説日露戦争に勝利した結果、日本は日露講和条約(1905年9月5日調印)に基づき、ロシアが経営していた中東鉄道の南部線(長春―旅順間)を引き継ぐこととなった。その経営主体に関し、1906年6月7日には「南満洲鉄道株式会社ニ関スル件」(勅令第142号)が公布された。同年8月1日には逓信大臣・大蔵大臣・外務大臣の連名による「南満洲鉄道株式会社設立命令書」が下付され、同年11月26日に南満洲鉄道株式会社(満鉄)が設立されて、その経営に当たることとなった。初代社長には台湾総督府民政長官であった後藤新平が就任し、1907年4月より営業が開始された。満鉄は中東鉄道南部線に加え、日露戦争中に軍事輸送用に敷設した安奉線(安東―奉天間)、撫順炭鉱および煙台炭鉱も併せて経営した。また、満鉄の特徴として、各鉄道駅前に設定された鉄道附属地(満鉄附属地)において都市経営と一般行政(土木・教育・衛生)を担ったことが挙げられる。満鉄は鉄道経営のみでなく、日本が満洲において植民地経営を行うための多角的な国策会社であった。参考資料「満鉄」(加藤聖文執筆)貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館、2012年、200-202頁。加藤聖文『満鉄全史 「国策会社」の全貌』講談社選書メチエ、2006年。「満鉄付属地」(大野太幹執筆)前掲『二〇世紀満洲歴史事典』203-205頁。「南満洲鉄道株式会社ニ関スル件」(アジ歴Ref:A03020674400)。「南満洲鉄道株式会社ニ設立命令書ヲ下付ス」(アジ歴Ref:A01200007900)。基本語(日本語)南満洲鉄道株式会社基本語(英語)South Manchuria Railway Co.同義語南満洲鉄道満鉄満鉄会社関連語日露講和条約満洲ニ関スル日清条約南満洲鉄道株式会社ニ関スル件東支鉄道東清鉄道南満洲鉄道株式会社東京支社満鉄東京支社満鉄附属地南満洲鉄道附属地満鉄公所後藤新平上位カテゴリ国策会社このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00001926