キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会山口大学図書館辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。ラウレルらうれるこのキーワードで検索解説1891-1959年。イェール大学卒業の法学博士で、東京帝国大学の名誉博士号を有していた。上院議員、最高裁陪審判事、司法長官などを歴任。日本軍政下の1942年1月26日に発足したバルガスを委員長とする行政委員会の委員となる。日本によるフィリピン「独立」承認後、1943年6月20日に日本軍司令官の命により独立準備委員会が組織され、ラウレルが委員長に就任した。同年10月14日にフィリピンは第二フィリピン共和国として独立し、同年11月から日本敗戦までラウレルが大統領を務めた。ラウレルが戦局の悪化に伴い、1945年3月29日にルソン島を脱出して台湾経由で日本に亡命し、奈良で亡命生活を送った。日本敗戦後の1945年8月17日、ラウレルは奈良で第二共和制の終焉を宣言した。その後、巣鴨拘置所に収監され、1946年7月に帰国。対日協力の罪で人民法廷で裁かれたが、恩赦で放免となり、1949年に国民党大統領候補、1951年上院にトップ当選して政界に返り咲き、1953年に発足したマグサイサイ政権を支えた。参考資料鈴木静夫・早瀬晋三編『東南アジアを知るシリーズ フィリピンの事典』同朋舎、1992年、252~253・363頁。基本語(日本語)ラウレル基本語(英語)Jose Paciano Laurel同義語ホセ、ラウレルホセ、ピー、ラウレルホセ・ピーラウレルホセピーラウレルホセ、ベー、ラウレルホセ、ペ、ラウレルJOSE P. LAURELJOSE P.LAUREL関連語独立準備委員長行政府内務部長官ラウレル政権フィリピン国大統領比島共和国大統領比島大統領日本国フィリピン国間同盟条約日比条約上位カテゴリフィリピン(人名)このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00000527