キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会山口大学図書館辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。新島襄にいじまじょうこのキーワードで検索解説1843(天保14)年生。安中藩出身。別名に新島七五三太。父は祐筆新島民治。1856(安政3)年藩中で選抜されて蘭学を学ぶ。1857(安政4)年祐筆補助役、御供徒士。1860(万延元)年軍艦操練所に入る。1864(元治元)年箱館に渡り、米船ベルリン号で上海へ密航。1865(慶応元)年アメリカに渡る。ハーディー家の支援によりフィリップス・アカデミーに入学。1866(慶応2)年アンドーバー神学校付属教会で洗礼。1867(慶応3)年アーモスト大学に入学。1870年アンドーバー神学校に進学。1872年訪米中の岩倉使節団に三等書記官心得として随行。1874年神学校を卒業、宣教師として帰国。1875年同志社英学校を設立。1876年同志社女学校を設立。1884年渡米。1885年帰国。1886年宮城英学校を設立。1887年同志社病院・京都看病婦学校を設立。1888年徳富蘇峰の協力を得て大学設立運動を展開。1890年死去。妻に山本八重。参考資料国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第10巻』吉川弘文館、1989年、823頁(執筆:杉井六郎)。宮地正人ほか編『明治時代史大辞典第3巻』吉川弘文館、2013年、5頁(執筆:本井康博)。「安中藩新島七五三太米国ヘ留学」(Ref.A15070926100)。「大使書類原本在英雑務書類」(Ref.A04017149400)。基本語(日本語)新島襄基本語(英語)Niijima Jo同義語新島七五三太関連語岩倉遣外使節同志社田中不二麿山本覚馬徳富蘇峰上位カテゴリ教育者・研究者・技術者このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00000515