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武部六蔵

たけべろくぞう

解説
1893年生。長崎県出身。1918年7月に東京帝国大学法科大学法律学科を卒業、内務省入省。卒業前の1915年10月に文官高等試験合格。1919年10月長崎県理事官・内務部農林課長、1921年11月福岡県学務課長、1922年8月に内務事務官となり内務省都市計画局勤務。1923年10月帝都復興院建築局庶務課長兼営繕課長、1924年2月内務省復興局建築部庶務課長を歴任。1928年3月に万国著作権会議に参加するためローマへ出張し、その後ヨーロッパ各国、南米を歴訪した。1929年4月に内務省復興局長官官房計画課長、1929年5月復興局長官官房文書課長、1930年4月復興事務局文書課長、1931年1月復興事務局計画課長、1931年4月復興事務局庶務課長を経て、1931年10月に内務書記官・内務大臣秘書官となる。1932年6月秋田県知事を経て、1936年1月に関東局司政部長、1936年4月には関東局総長に就任し、満洲国における日本の治外法権撤廃に関わった。1938年3月に関東局総長を辞任し帰国。帰国後は北支那開発株式会社、中支那振興株式会社の設立に従事した。1939年1月に企画院次長に就任。1940年1月に辞任し依願免本官。1940年7月、満洲国国務院総務長官就任に伴い渡満、満洲国崩壊まで同職を務めた。1945年9月ソ連軍による逮捕に伴いシベリアに抑留され、1950年7月に撫順戦犯管理所に移送された。1956年7月に中華人民共和国最高人民法院特別軍事法廷において徒刑20年の判決を受けたが、病気療養のため仮釈放となり同年同月に帰国。1958年1月没。関連資料に田浦雅徳・古川隆久・武部健一編『武部六蔵日記』(芙蓉書房出版、1999年)がある。
参考資料
「武部六蔵」(山本裕執筆)貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館、2012年、341-342頁。秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年、312頁。
基本語(日本語)
武部六蔵
基本語(英語)
Takebe Rokuzo
同義語
武部関東局総長武部企画院次長武部次長武部総務長官
関連語
長崎県理事官福岡県学務課長都市計画局帝都復興院復興局書記官秋田県知事関東局司政部長関東局総長企画院次長満洲国総務長官
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