キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。後藤新平ごとうしんぺいこのキーワードで検索解説1857年生。岩手県水沢市出身。1880年からの愛知医学校長を経て、1883年より内務省衛生局に勤務し、1892年に衛生局長となる。1895年の臨時陸軍検疫部勤務を経て、1898年に台湾総督・児玉源太郎より台湾総督府民政局長(のち民政長官)に指名され、1898年3月~1898年6月まで務め、旧慣調査や産業育成を推進した。民政局が民政部に改編されると民政長官として1906年11月まで勤務。その後、満鉄の初代総裁に就任し、ほどなくして台湾時代からの部下である中村是公に総裁の職を引き継いで帰国。1908年に逓信大臣(鉄道院総裁兼務)となり1911年8月に辞職、1912年に再度逓信大臣(鉄道院総裁・拓殖局総裁兼務)に就任、1913年2月辞職。1916年には寺内内閣の内務大臣兼鉄道院総裁となり、1918年には外務大臣に就任して日本のシベリア出兵を推し進めた。1920年より東京市長を務め、1923年には再度内務大臣に就任し、関東大震災後には帝都復興院総裁を兼務して、被災した東京の復興計画に従事した。1929年4月没。参考資料「後藤新平」(鳥海靖執筆)臼井勝美ほか編『日本近現代人名辞典』吉川弘文館、2001年、423-424頁。「後藤新平」(加藤聖文執筆)貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館、2012年、76-77頁。基本語(日本語)後藤新平基本語(英語)Goto Shimpei同義語後藤民政長官後藤台湾総督府民政長官後藤長官後藤帝都復興院総裁後藤鉄道院総裁後藤総裁後藤拓殖局副総裁後藤外務大臣後藤伯後藤子後藤男内務大臣後藤男爵関連語後藤大臣後藤内務大臣後藤逓信大臣内務省衛生局長臨時陸軍検疫部台湾総督府民政長官南満洲鉄道株式会社総裁鉄道院総裁逓信大臣拓殖局総裁シベリア出兵西比利亜出兵問題ニ関スル意見日露協会内務大臣東京市長帝都復興院総裁大日本連合青年団後藤一蔵上位カテゴリ内務省(官僚)このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00000417