キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会山口大学図書館辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。高崎正風たかさきまさかぜこのキーワードで検索解説1836(天保7)年生。薩摩藩出身。別名に高崎豊麿。最高爵位は男爵。父は藩士高崎温恭。1850(嘉永3)年嘉永朋党事件に連座して奄美大島に配流。1853(嘉永6)年赦免。1862(文久2)年島津久光に従って上京、国事に奔走する。以後、使番、応接掛並供目付、京都留守居附役勤などを務める。1868年征討軍事参謀。維新後は鹿児島藩地頭職として垂水地方の行政に従事。1871年左院少議官。1872年左院視察団として欧米派遣、主に英仏の議会・法制の調査研究に従事。同年三等議官。1873年帰国。1874年全権弁理大臣大久保利通の清国派遣に随従。同年帰国。1875年侍従番長。1876年歌道御用掛。1877年二等侍補。1878年皇后宮亮、宮内四等出仕・文学御用掛。1884年宮内三等出仕。1886年式部次官、御歌掛長。1888年御歌所長、東京音楽学校商議委員。1889年宮中顧問官、帝室制度取調委員、兼小松宮別当。1890年兼北白川宮別当、国学院院長。1895年枢密顧問官。1896年北白川宮家務監督。1899年帝室制度調査局御用掛。1912年死去。子に高崎元彦、孫に高崎正光。参考資料国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第9巻、吉川弘文館、1988年、22頁(執筆:武川忠一)。宮地正人ほか編『明治時代史大辞典』第2巻、吉川弘文館、2012年、538頁(執筆:兼築信行)。「高崎正風」A06051171400。基本語(日本語)高崎正風基本語(英語)Takasaki Masakaze同義語高崎豊麿高崎少議官高崎三等議官高崎二等議官高崎議官高崎侍従番長高崎番長高崎式部職次官高崎式部次官高崎式部官高崎顧問官高崎男関連語征討将軍軍事参謀左院視察団岩倉使節団大久保利通侍従番長歌道御用掛皇后宮亮文学御用掛式部次官御歌掛長御歌所長東京音楽学校商議委員帝室制度取調委員小松宮別当国学院北白川宮家務監督帝室制度調査局御用掛鹿児島藩少議官視察功程弁理大臣随行枢密顧問官男爵島津久光葬儀御用掛長二等侍補天長節歌日本赤十字社宮中顧問官紀貫之高崎正光高崎元彦山田益彦表記ゆれ高崎清風高橋正風髙﨑正風上位カテゴリ政治家このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00000392