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大達茂雄

おおだちしげお

解説
1892年1月生。島根県出身。1915年10月に文官高等試験に合格し、1916年5月に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年7月宮城県属・内務部勧業課勤務に配属となり、1917年1月宮城県警部・巡査教習所長兼警察部保安課保安係長、同年10月東京府属・内務部庶務課勤務兼内務属・地方局勤務、1918年6月大分県内務部地方課長、1919年9月新潟県地方課長、1921年6月内務事務官・警保局勤務、同年9月内務事務官・衛生局勤務、1923年4月内務事務官兼内務書記官・衛生局医務課長、1926年10月内務省地方局行政課長兼衛生局医務課長、1927年4月復興局整地部庶務課長、同年6月内務省衛生局医務課長、1928年2月欧米へ出張、1929年7月内務省地方局行政課長、1931年5月から同年8月欧米へ出張、1931年11月内務省地方局財務課長、1932年3月福井県知事を歴任し、1934年4月に依願免本官。同年5月より満洲国法制局長、1935年5月満洲国国務院総務庁次長兼法制局長、1936年4月満洲国国務院総務庁長に就任し、同年11月に依願免本官。1937年12月より陸軍省事務嘱託・北支那方面軍司令部付、1938年6月中華民国臨時政府法制顧問を経て、帰国後、1939年9月に内務次官となり、1940年7月に依願免本官。1942年2月陸軍省事務嘱託・第25軍軍政部付、同年3月陸軍司政長官・第25軍軍政監部付・昭南特別市長を務め、1943年5月に帰国。同年7月東京都長官、1945年4月内務大臣を歴任。日本敗戦後の1945年9月から1946年5月まで内務省顧問の職にあったが、1945年12月から1947年8月までは戦犯容疑者として巣鴨刑務所に拘置された。1952年4月に公職追放が解除となり、1953年5月から1955年9月まで参議院議員を務め、1953年5月から1954年12月までは文部大臣を務めた。1955年9月没。
参考資料
秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年、105頁。
基本語(日本語)
大達茂雄
基本語(英語)
Odachi Shigeo
同義語
大達内務書記官大達内務次官大達内務大臣
関連語
東京都東京都長官小磯内閣
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