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プラディット

ぷらでぃっと

解説
1900-1983年。タイの政治家。一般的には「プリーディー」と称される。「ルアン・プラディットマヌータム」は欽賜名。法務省付属法律学校卒業後、21歳でフランスに留学。1927年に帰国し、法務省に勤務。人民党の文官派リーダーとして1932年の立憲革命に参加し、人民党宣言やシャム国臨時統治憲章を起草した。しかし、1933年に起草した国家経済計画案で共産主義者の烙印を押され、一時出国した。帰国後、外務大臣・大蔵大臣などを歴任し、タマサート大学創設にも貢献した。太平洋戦争開戦後の日本進駐期には、抗日組織である自由タイを指揮し、日本敗戦後の1945年8月16日には、摂政の立場でピブン政権により行われた対英米宣戦布告の無効を宣言した。1946年3月24日に首相に就任したが、1947年11月8日の陸軍によるクーデターにより、国外へ亡命。1970年以降、フランスに滞在し、二度とタイの地を踏むことはなかった。
参考資料
「プリ―ディー」(赤木攻執筆)(『新版 東南アジアを知る事典』平凡社、2008年)394頁。村嶋英治『ピブーン 独立タイ王国の立憲革命』岩波書店、1996年、第8章。
基本語(日本語)
プラディット
基本語(英語)
Pradit
同義語
プラディット外相ルアン、プラディットルアン・プラディットルアン、プラディット、マヌータムルアン、プラデイットマヌダンプリッディ、パノムヨン
関連語
人民党立憲革命
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