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ラス・ビハリ・ボース

らすびはりぼーす

解説
1886-1944年。インド民族運動の指導者。1908年頃よりベンガル民族運動を指導し、1912年にインド総督ハーディングに爆弾を投擲するなどした。1915年に来日し、亡命中の孫文と会っている。同年11月にイギリスによって国外退去処分となり、新宿の料理店・中村屋に匿われた。そのため、「中村屋のボース」として知られる。太平洋戦争勃発とともに、インド独立連盟総裁としてインド国民軍結成のために日本に協力した。しかし、主体性を確保しようとするインド国民軍と日本軍との間で苦悩し、1944年1月にインドの独立を見ることなく日本で死去。インド国民軍の指導的地位はスバス・チャンドラ・ボースに引き継がれることとなった。
参考資料
「ボース」(長崎暢子執筆)『南アジアを知る事典』平凡社、2000年(第4版)、671頁。
基本語(日本語)
ラス・ビハリ・ボース
基本語(英語)
Rash Behari Bose
同義語
Las Behary Bose
関連語
印度独立連盟インド国民軍
表記ゆれ
ラス、ビハリー、ボースラス ビハリー ボースラスビハリ、ボースラジユビハリボースボース、ラスビハリ
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