アジア歴史資料センター

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Language

English

件名標題(日本語)
件名(9)一般/コロンボ計画物語 その10年の歩み 1951-1961
階層
レファレンスコード
B22010372900
所蔵館における請求番号
E'.4.1.0.12(外務省外交史料館)
言語
日本語
作成者名称
外務省経済協力部長甲斐文比古//コロンボ計画事務局
資料作成年月日
昭和36年7月1日
規模
25
組織歴/履歴(日本語)
外務省
内容
コロンボ計画物語 その10年の歩み 1951-1961 南および東南アジア 「歴史しのものよりも文明の伝統 今なおその他の人々の心と精神を形作っている芸術と学問の宝という形の測り知れない試算」(1950年協議委員会ロンドン会議報告書より) コロンボ計画物語 はしがき コロンボ計画機構は、南アジア地域および南東アジア地域の国々の経済開発を相互に協議し、協力して進めて行こうとする国々―すなわちこの地域に属する11ヵ国と、オーストラリア、カナダ、日本、ニュージーランド、英国、米国の6ヵ国が構成している協議機関である。コロンボ計画機構の中心をなす協議委員会は、昨年11月東京で第12回年次会議を開催し、本年7月1日をコロンボ計画の発足10周年を祝う記念日と定め
種別
写真,図
写真・図等のキャプション
(写真)(上)上ビルマ、パガンの塔/(上の中)パキスタン、ラホールのバドシャーヒ寺院/(右上)インド、アグラのタジ・マハール/(中右)カンボディアのアンコール・ワット/(右下)インドネシアのボロブドゥール寺院/インド西ベンガルのドゥルガプールにある巨大な製鋼所は、1年余り前に生産を開始した。そこに働くインド人技師と技術者のうち、200人以上は英国で訓練された。オーストラリアと米国も援助を与えた。/パキスタンのワルサク水力発電計画/タイの東西高速道路/米国はタイの友情高速道路に1,000万ドル以上与えた/インドネシア、チュルグの飛行学校/(上)セイロンの上院、ここで10年前コロンボ計画が誕生した/(右)歴史的な最初の会議/(中右)参集した各国首脳/(下)東京の協議委員会第12回会議で演説する池田総理大臣/最初のコロンボ計画研修生は、セイロンの歯科看護婦6名で、1951年ニュージーランドに受け入れられた。写真は卒業式直後の彼女達/パキスタン、カラチの飛行訓練学校におけるマラヤ人研修生2名(右)/空中写真から地図を作成中のオーストラリア帰りの北ボルネオの研修生/インド統計センターに学ぶビルマ、インドネシア、ネパール、パキスタン、フィリピン、ヴィエトナムの研修生/1.英国における印度人薬剤学者/2.フィリピンおけるヴィエトナム人研修生/3.ニュージーランドにおけるタイ人歯科看護婦/4.オタワの実験室におけるインドネシア人研修生/5.日本でマイクロウエーブ研究中のフィリピン人/6.北ウェールスにおけるビルマ人とタイ人医師/7.日本におけるパキスタン人農業研修生/8.ニューデリーにおけるセイロン人とネパール人/9.オーストラリアで講義するシンガポール少女/10.カナダにおける印度人研修生/11.ブリズベーンにおけるタイ人警察研修生/12.ニュージーランドにおけるマラヤ人研修生/13.米国人指導官とタイ人研修生/14.ニュージーランドにおけるネパール人学生/15.英国製鋼所におけるインド人技師/16.ブリストルにおけるセイロン人ゴム研究員/17.カナダにおけるパキスタン人大学院生/18.カナダで研究中のビルマ人土壌化学者/19.デリーにおけるインドネシア人とフィリピン人/20.オタワで地図作成技術を勉強中のパキスタン人/1.オーストラリアはジャカルタに印刷学校を建て教授陣を送った (図)第1図 コロンボ計画研修生(受益国別)1950年~1960年/第2図 コロンボ計画研修生/第3図 域内および域外における研修1950年7月~1960年6月 (表)なし
論文などへの引用例

「(9)一般/コロンボ計画物語 その10年の歩み 1951-1961」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B22010372900、コロンボ・プラン関係 コロンボ・プラン関係(E'.4.1.0.12)(外務省外交史料館)


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