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ラウレル

らうれる

解説
1891-1959年。イェール大学卒業の法学博士で、東京帝国大学の名誉博士号を有していた。上院議員、最高裁陪審判事、司法長官などを歴任。日本軍政下の1942年1月26日に発足したバルガスを委員長とする行政委員会の委員となる。日本によるフィリピン「独立」承認後、1943年6月20日に日本軍司令官の命により独立準備委員会が組織され、ラウレルが委員長に就任した。同年10月14日にフィリピンは第二フィリピン共和国として独立し、同年11月から日本敗戦までラウレルが大統領を務めた。ラウレルが戦局の悪化に伴い、1945年3月29日にルソン島を脱出して台湾経由で日本に亡命し、奈良で亡命生活を送った。日本敗戦後の1945年8月17日、ラウレルは奈良で第二共和制の終焉を宣言した。その後、巣鴨拘置所に収監され、1946年7月に帰国。対日協力の罪で人民法廷で裁かれたが、恩赦で放免となり、1949年に国民党大統領候補、1951年上院にトップ当選して政界に返り咲き、1953年に発足したマグサイサイ政権を支えた。
参考資料
鈴木静夫・早瀬晋三編『東南アジアを知るシリーズ フィリピンの事典』同朋舎、1992年、252~253・363頁。
基本語(日本語)
ラウレル
基本語(英語)
Jose Paciano Laurel
同義語
ホセ、ラウレルホセ、ピー、ラウレルホセ・ピーラウレルホセピーラウレルホセ、ベー、ラウレルホセ、ペ、ラウレルJOSE P. LAURELJOSE P.LAUREL
関連語
独立準備委員長行政府内務部長官ラウレル政権フィリピン国大統領比島共和国大統領比島大統領日本国フィリピン国間同盟条約日比条約
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