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解説
1897-1964年。タイの軍人・政治家。本名はプレーク・キッタサンカ。欽賜名はピブーンソンクラーム。現在では「ピブーン」と表記されることが多い。陸軍士官学校と参謀学校を卒業後、1924年から1927年まで外国派遣将校としてフランスの砲兵学校に留学。その際、1927年にプラディット(プリーディー)とともに人民党を結成し、タイの絶対王政打倒を計画した。帰国後の1932年に立憲革命を主導して立憲君主制を樹立し、35歳で初代内閣の国務大臣となる。1936年には国防大臣となり、1938年12月16日に41歳で首相に就任。1939年10月6日には「国家信条」を公布して、国名をシャムからタイに改めた。また、タイ語を国語とする国民形成、汎タイ民族運動などを推し進めた。太平洋戦争開戦後、ピブン政権は日本の駐留を認め、日泰攻守同盟を結び日本軍の物資調達に協力した。しかし、1943年11月の大東亜会議には出席しないなど、戦局の悪化ととに日本と距離を置くようになった。日本敗戦後、ピブンは英印進駐軍により戦犯容疑者としてタイ国内で拘置された。1946年に釈放されると、1948年にクーデターにより政権に復帰したが、1957年には自らがクーデターにより政権の座を追われ、1958年1月にアメリカを経て日本に亡命し、1964年に相模原で死去。
参考資料
「ピブーンソンクラーム」(市川健二郎執筆)(石井米雄・吉川利治編『東南アジアを知るシリーズ タイの事典』同朋舎、1993年)281~282頁。村嶋英治『ピブーン 独立タイ王国の立憲革命』岩波書店、1996年、第8章。
基本語(日本語)
ピブン
基本語(英語)
Phibun Songkhram
同義語
ルアン、ピブーンルアン、ピブン、ソンクラームルアン、ピブンソングラムピー、ピブン、ソンクラームピブン総理ピブン首相ピブーン国防相ピブン元帥Phibun
関連語
ピブン政権ピブン狙撃事件泰国軍総司令官立憲革命日泰攻守同盟日タイ攻守同盟条約
表記ゆれ
ピブーンビブンビブーン
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