アジア歴史資料センター

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Language

English

件名標題(日本語)
件名Shin Sekai 1930.05.13
階層
レファレンスコード
J21021686200
所蔵館における請求番号
tnw_19300513(スタンフォード大学フーヴァー研究所)
言語
日本語,英語
作成者名称
新世界新聞
資料作成年月日
1930年5月13日
規模
8
内容
@/特別議会けふ閉づ貴族院の難関も突破政府安堵の態/追加予算希望決議付で貴族院予算総会を通過日本共産党事件は秘密会議で内相より説明/漸進主義を重んじて婦人公民権案は委員会附託貴族院の本会議論戦賑ふ/皇后陛下の行啓を仰ぎ高雄の進水式わが一万トン級の新鋭/帰国に先んじて政府と海相の打合けふハルビン出発帰朝の途へ/早慶野球戦の入場申込二十三万すばらしき人気ぶり/早大立教に勝つ/十一名を呑む日本ラインの激流遊覧船三隻顛覆す/劇場全焼して所有主家族全部焼死す北海道夕張市の惨事/殺人魔谷口収容さる/ペツシヤワで英国飛行隊出動す印度大臣下院で発表/反英運動の指揮に立つ閨秀詩人/トヤビヂ氏の投獄で群衆は更に示威「国民の自由が確立されるまで印度には平和来らず」/海軍条約の批准に反対する理由大統領通過に努む/ペルシヤ再び大激震に襲はれて死者二千に及ぶ/北京軍優勢南京軍死者一万人捕虜となる者一万五千人/無理をして陸相再静養/2/大使への陳述同胞の意見驚くほど相違す/大使一行通過す終始ニコ〱して出迎者に応酬一般同胞諸氏に宜しくと/同胞への希望民族的自負心を世界に優秀の国民【三】出淵勝次大使談/往時を語る私の見た寄投稿者とその原稿(四)佐藤茂作/3/桑港に着いた出淵大使夫妻愛キヨウそのものの顔で何処までも外交官ぷりを発揮しさすがの英字記者連も撃退さるフエアモントホテルでの会談/同胞を慰めに来たのか慰められに来たのか?恵まれた加州の在留民よ/日本帝国公債五千弗を公募引受けは銀行シンヂケート五分五厘の利息で利廻六分二厘/須大学の大使一行市橋教授案内で校内を参観す/千に近き群衆壮厳なる起工式金色のシヤベルを持つ大使の手で最初の土は盛られた/キユバチノ・ゴルフ倶楽部佐藤選手みんごと優勝す合格試合で嶄然第一位に次の日曜日は選手権の争奪/出淵大使学童視察エマーソンとラフエルへ/旅行中の楽しみは同胞婦人に会ふこと女性らしい濱子夫人の言葉加州はほんとに好いところ/北米開教総長には増山顯珠師と決定北海道出身の篤学者前龍谷大学の文学部長/九日横浜を浅間丸出帆船足も軽く二十二日入港/総領事館邸の大使歓迎会市内@なる人々も招待/王府で衝突した記者と電車重傷七、軽傷五/何も知らず幼児が無残にもクルマで轢かるパン屋が知らずに後へ戻してよく有り勝ちな失策/ホノルルを十日春洋丸出帆十六日桑港着
種別
写真
写真・図等のキャプション
リー婦人 テキサス州チスロのロバートリー婦人は米国下院議員だつた亡夫トバートリー氏の議席を奪はんと立候補を宣しもと下院議員プラントン氏と一騎打ちを演ずることとなつた/この程成功を収めて帰つたバード南極探検隊の最年少隊員であるレーモンドマコラ君(十八)/娘子軍の皿洗練習


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