キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会山口大学図書館辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。サイパン支庁さいぱんしちょうこのキーワードで検索解説南洋庁サイパン支庁はマリアナ群島一円を管轄するために設けられた地方行政組織。支庁はサイパン島ガラパン町に置かれた。当初、支庁内には庶務係と警務係が置かれたが、1931年6月1日に財務係が置かれ、1937年8月21日には庶務係、財務係、殖産係、警務係となった。産業の発展に伴う人口増加により、サイパン支庁管内のテニアン島は1933年5月に、ロタ島は1935年8月に出張所が置かれて支庁事務を分掌した。1943年11月5日にサイパン支庁は南洋庁北部支庁に再編され、あわせてテニアン出張所とロタ出張所を管掌した。管区内には14の島が点在し、面積は639平方キロメートルであった。支庁内には総務課、経済課、警務課が置かれた。南洋庁や南洋興発などの職員と家族が多く住んでいたが、戦況の悪化に伴い、婦女子の内地引揚が進み、米軍のサイパン進行前には約2万人の邦人が在留していた。1944年7月、「サイパンの戦い」で支庁長をはじめ一部邦人は自決、または戦死したが、大部分は米軍に収容され、ススペ収容所に送られた。参考資料南洋庁の官制については、A03021377500を参照。支庁の統合については、A03022875300を参照。サイパン支庁內の調査資料については、D15020025500、D15020026100を参照。「南洋庁支庁ノ名称位置及管轄区域」南洋庁令第4号、1922年4月1日(『南洋庁公報』第1号、1922年4月)。「南洋庁支庁事務分掌規程」南洋庁訓令第50号、1924年12月25日(『南洋庁公報』号外、1924年12月25日)。「南洋庁支庁事務分掌規程改正」南洋庁訓令第13号、1931年5月21日(『南洋庁公報』第204号、1931年6月1日)。「南洋庁支庁及支庁出張所事務分掌規程」南洋庁訓令第43号、1937年8月21日(『南洋庁公報』号外、1937年8月21日)。「南洋庁支庁ノ名称位置及管轄区域改正」南洋庁令第52号、1943年11月5日(『南洋庁公報』号外、1943年11月5日)。「南洋庁支庁出張所ノ名称位置及管轄区域改正」南洋庁令第53号、1943年11月5日(『南洋庁公報』号外、1943年11月5日)。「南洋庁支庁出張所事務分掌規程改正」南洋庁訓令第64号、1943年11月5日(『南洋庁公報』号外、1943年11月5日)。南洋庁編『南洋群島要覧 昭和十八年版』(南洋庁、1943年)。防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈2〉ペリリュー・アンガウル・硫黄島』(朝雲新聞社、1968年、43-65・234-236頁)。防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈1〉マリアナ玉砕まで』(朝雲新聞社、1967年、429-430・503-509頁)。基本語(日本語)サイパン支庁基本語(英語)Saipan Branch関連語南洋庁南洋庁長官サイパン島ガラパンテニアン島ロタ島北部支庁テニアン出張所ロタ出張所上位カテゴリ南洋群島(行政機関)このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00003066