キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会山口大学図書館辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。日本郵船会社にほんゆうせんかいしゃこのキーワードで検索解説1885(明治18)年9月29日に郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が合併して成立し、同年10月1日に開業。資本金は1100万円であり、日本政府より年額88万円の定額補助金が下付された。設立当初は国策会社的性格が強かったとされる。大阪商船・東洋汽船とともに社船と称された。初代社長には共同運輸会社出身の森岡昌純が就任したが、成立直後の人事異動により三菱出身者が経営陣をほぼ独占し、2代社長・吉川泰二郎、3代近藤廉平とも三菱出身であった。創業当初は政府命令航路14路線を受命したが、国内航路中心で不定期航路の比重も高かった。その後、香港航路・マニラ航路・ボンベイ航路(1893年開設)など遠洋定期航路を開設した。日清戦争後は、欧州(1896年3月)・北米(同年8月)・豪州(同年10月)の遠洋航路を開設。1901年には長江航路に進出し、1902年に湖南汽船会社に出資するとともに、1903年6月15日にマクベーン洋行(イギリス資本)を買収した。1906年には横浜―漢口間航路を開設したが、のち日清汽船会社に譲渡。日露戦争の際は所有船の9割に当たる72隻が徴用され、多くの航路が一時中止または縮小に追い込まれた。日露戦争後は大阪商船会社との競争が激化。第一次世界大戦後はリバプール線・ハンブルグ線を開設し、1926年2月16日には東洋汽船会社を合併して、同社の太平洋航路を継承した。第二次世界大戦期には海運統制により国家管理となり、日本敗戦後の1950年4月1日に海運の国家管理が終了し民営還元が実現すると、1952年に欧州・ニューヨーク・シアトル航路などを復活させた。1964年の海運再編により三菱海運と合併した。参考資料「日本郵船会社」(小風秀雅執筆)丸山雍成・小風秀雅・中村尚史編『日本交通史辞典』吉川弘文館、2003年、714-716頁。基本語(日本語)日本郵船会社基本語(英語)Nippon Yusen Kaisha同義語NYK日本郵船株式会社関連語共同運輸会社郵便汽船三菱会社東洋汽船森岡昌純吉川泰二郎近藤廉平伊東米治郎白仁武各務鎌吉大谷登上位カテゴリ国内企業このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00002282