キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会山口大学図書館辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。東亜研究所とうあけんきゅうしょこのキーワードで検索解説1938年9月1日、企画院管掌の下に財団法人東亜研究所が設立された。設立の主導役を果たしたのは企画院調査官の池田純久であった。初代総裁は内閣総理大臣近衛文麿、副総裁は大蔵公望(満鉄理事、貴族院議員)、常務理事に唐沢俊樹(貴族院議員)が就任した。人文・社会・自然科学の総合的視点から、日中戦争およびこれらの地域に対する国策の樹立に貢献することが期待された。そのため企画院と興亜院の直接指示をうけ、調査項目は専ら対中国関係であった。、1940(昭和15)年以降、満鉄調査部と共同で、「中国農村慣行調査」(華北地域を対象)を行い、太平洋戦争後の南方占領地軍政においては、第16軍(ジャワ軍政監部)のもとで柘植秀臣を調査室主査として、旧蘭印(インドネシア)のジャワ占領地における調査活動を担当した。研究所所員としては、講座派の山田盛太郎等、左派リベラル派の知識人が所属していた。敗戦後、政府から正式な解散認可も出ないまま1946(昭和21)年3月3日に解散した。参考資料Ref: A15060275500。柘植秀臣『東亜研究所と私―戦中知識人の証言―』勁草書房、1979年、24、100-102、113、133-148頁。基本語(日本語)東亜研究所基本語(英語)East Asia Institute関連語サンソム菊池門也上位カテゴリ内閣(行政機関)このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00002234