キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会山口大学図書館辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。セミョーノフせみょーのふこのキーワードで検索解説1890-1946年。ザバイカルコサック出身の白系ロシア人。ロシア十月革命直後、「特別満洲里支隊」と称する白軍組織を編成し、ザバイカル州の革命軍と対決した。その活動に着目した日本軍は武器・資金の供給、軍事顧問団の派遣などにより支援した。1918年8月に連合国のシベリア干渉が開始されると、セミョーノフはシベリア白軍の第5軍団長に任命された。当初、コルチャークと対立したが、1919年末のコルチャーク政権崩壊後は陸軍中将に昇進し「極東全軍総司令官」を名乗り、満洲との国境近くのチタに拠点を置いた。1920年秋に極東共和国人民革命軍に敗北し、日本軍の一部軍人の助けで満洲へと逃避した。満洲ではハルビン・大連等に滞在し、在満白系ロシア人を糾合してソ連への反攻を試みたが実現せず。日本敗戦後、満洲に進攻したソ連軍に捕らえられ、モスクワで絞首刑に処せられた。参考資料「セミョーノフ」(原暉之執筆)川端香男理ほか編『新版 ロシアを知る事典』平凡社、2004年、414頁。「ソ連放送第287号 昭和21年9月3日(火)」(アジ歴Ref:C14010427200)。基本語(日本語)セミョーノフ基本語(英語)Grigorii Mikhailovich Semenov同義語Semenov関連語セミョーノフ軍「セ」軍チタ政府斉多政府知多政府赤塔政府ダウリヤ白系露軍白党白党露人表記ゆれセミオノフセミョノフセミヨノ―フセミヨノフセミヨフセミヨーノフセメノフセメヨノフセメヨーノフセメーノフ上位カテゴリロシア・ソ連(人名)このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00000521