キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会山口大学図書館辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。川路寛堂かわじかんどうこのキーワードで検索解説1844(弘化元)年生。江戸出身。別名に川路太郎。祖父は旗本川路聖謨、父は川路彰長。幼少時に父が他界、一時は大叔父にあたる井上清直に養育されるも、後に聖謨のもとで育てられる。1857(安政4)小姓組番士、1863(文久3)年小納戸。1864(元治元)年勤仕並寄合。1866 (慶応2)年歩兵頭並。同年幕府留学生として渡英。1868年帰国、横浜で貿易商を営む。1871年岩倉使節団に三等書記官・外務省七等出仕として随行。1872年大蔵省七等出仕。1873年帰国。1874年検査寮改正取調掛。1875年シャムへ派遣。同年帰国、翻訳御用専務。1876年大蔵権少丞。1877年丞官廃止に伴い辞職。1885年東京にて月山学舎を開塾。1893年広島県福山尋常中学校教員雇。1899年兵庫県洲本中学校教諭心得。1903年淡路高等女学校長。1914年神戸松蔭女学校副校長。1922年退職。1927年死去。子に詩人・評論家の川路柳虹。参考資料宮永孝「元幕臣の英語教師 川路寛堂のこと」『社會勞働研究 』37ー3、法政大学、1990年。日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1982年、305~306頁。富田仁編『海を越えた日本人名事典』日外アソシエーツ、1985年、207~208頁(執筆:楠家重敏)。基本語(日本語)川路寛堂基本語(英語)Kawaji Kando同義語川路太郎関連語川路聖謨井上清直外務省七等出仕大蔵省七等出仕検査寮大蔵権少丞岩倉遣外使節利根川丸淡路高等女学校松蔭女学校表記ゆれ川路簡堂上位カテゴリ教育者・研究者・技術者このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00000512