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益田克徳

ますだかつのり

解説
1852(嘉永5)年生。佐渡国出身。別名に名村一郎。父は地役人益田鷹之助、実兄に益田孝、実妹に永井繁。父鷹之助の異動に伴い箱館・江戸に移る。1864(元治元)年横浜にて英学を学ぶ。1866(慶応2)年海軍見習生。1868年榎本武揚に従って戊辰戦争に従軍・捕縛、高松藩預となるも脱走。1869年慶應義塾に入学。1871年慶應義塾卒業、高松藩に英語教師として招聘。1872年兄孝の造幣権頭就任に伴い造幣寮出仕、司法大録。司法理事官随行員として岩倉使節団に合流、法律制度調査に従事。1873年帰国、司法省検事・判事を歴任。沼間守一らと法律講義所を設立。1878年辞職。この頃より茶人として活動を始める。1879年東京海上保険会社支配人。1880年東京商工会議員幹事。1882年立憲改進党結党に参加。1890年衆議院議員選挙に落選。1891年明治火災保険会社取締役。1893年東京帽子株式会社専務取締役。1901年米穀取引所理事長。1903年死去。
参考資料
大塚栄三著、益田恭尚ほか編『益田克徳翁伝』東方出版、2004年。大植四郎『明治過去帳 物故人名辞典』東京美術、1971年、679頁。「造幣寮」(Ref.C14020133800)。山寺清二郎編『東京商業会議所会員列伝』聚玉館、1892年。
基本語(日本語)
益田克徳
基本語(英語)
Masuda Katsunori
関連語
益田鷹之助益田孝瓜生繁榎本武揚慶應義塾高松藩造幣寮出仕岩倉遣外使節司法省検事司法省判事沼間守一東京海上保険会社東京商工会議所立憲改進党明治火災保険会社東京帽子株式会社米穀取引所
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