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瓜生震

うりゅうふるう

解説
1853(嘉永6)年生。越前藩出身。父は藩士多部五郎左衛門、兄に瓜生寅。1856(安政3)年瓜生姓となる。1856(安政3)年長崎に遊学、英学を修める。1870年工部省鉄道寮出仕。工部理事官随行として岩倉使節団に参加、留学を願い出て鉄道事業の研究に従事。帰国後は一時鉄道寮に出仕するも、1877年辞職。長崎の高島炭鉱にて売炭及運輸主任となり、三菱事務所支配人・長崎支店長・本社副支配人・営業部長を務める。1908年日本製糖汚職事件によって経営難となった日本製糖監査役となる。その後、汽車製造会社社長、麒麟麦酒株式会社取締役、日本興業銀行監査役などを歴任。1920年死去。
参考資料
『財界物故傑物伝 上巻』実業之世界社、1936年、211~214頁。富田仁編『新訂増補 海を越えた日本人名事典』日外アソシエーツ、2005年、153~154頁(執筆:楠家重敏)。稲村徹元ほか『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年、196~197頁。人事興信所編『人事興信録』第4版、人事興信所、1915年、う32頁。
基本語(日本語)
瓜生震
基本語(英語)
Uryu Furuu
同義語
瓜生鉄道中属
関連語
岩倉遣外使節鉄道寮高島炭鉱日本製糖汽車製造会社麒麟麦酒株式会社日本興業銀行
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