キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。北白川宮能久親王きたしらかわのみやよしひさしんのうこのキーワードで検索解説1847(弘化4)年生。京都出身。最終階級は陸軍中将(死後に贈大将)。実父は伏見宮邦家親王、後に仁孝天皇の養子となる。1848(嘉永元)年青蓮院門室を相続。1852(嘉永5)年梶井門室を相続。1858(安政5)年親王宣下を受け、能久親王を名乗る。同年得度。1867(慶応3)年輪王寺門跡となる。1868年戊辰戦争に際して奥羽越列藩同盟に擁立されて奥州へ移り、軍事総督となる。同年謹慎。1869年赦免、還俗して伏見宮家に復す。1870年軍事研究のために渡欧。1872年北白川宮を相続。1875年プロイセン陸軍大学に入学。1877年帰国。1878年近衛局出仕。1880年参謀本部出仕。1881年兼議定官。1883年戸山学校次長、同校教頭。1884年東京鎮台司令官代理。1885年歩兵第一旅団長。1892年第六師団長。1893年第四師団長。1895年近衛師団長。同年台湾に出征するも戦病死。国葬が営まれた。参考資料国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第14巻、吉川弘文館、1993年、431頁(執筆:川田貞夫)。宮地正人ほか編『明治時代史大辞典』第3巻、吉川弘文館、2013年、805頁(執筆:伊勢弘志)。秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年、56頁。基本語(日本語)能久親王基本語(英語)Prince Yoshihisa同義語輪王寺宮公現親王輪王寺公現公現伏見満宮北白川二品親王北白川二品宮北白川親王満麻呂能久王親王能久北白川能久関連語北白川宮北白川宮成久王伏見宮伏見宮邦家親王山階宮晃親王久邇宮朝彦親王満宮仁孝天皇軍事総督孛国普国陸軍大学校議定官戸山学校東京鎮台司令官歩兵第一旅団長第六師団長第四師団長近衛師団長国葬大勲位陸軍大将台南神社台中神社台湾神社青蓮院宮梶井宮照高院宮智成親王妃富子竹田宮恒久王小松輝久二荒芳徳上野正雄北白川宮永久王北白川宮別当高崎五六井田譲東京地学協会内国勧業博覧会事務総裁大日本農会独逸学協会上位カテゴリ皇族将官(陸軍)このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00000475