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小松濟治

こまつせいじ

解説
1848(嘉永元)年生。会津藩出身。別名に馬島濟治、小松燾盛。父は医師馬島瑞謙。会津藩校日新館にて蘭学を学ぶ。1865(慶応元)年長崎に遊学してレーマンよりドイツ語を学び、さらに渡欧してハイデルベルク大学に留学(医学部のち法学)。1870年帰国、和歌山藩に出仕。1871年兵部省御用掛、兵部省七等出仕、外務省七等出仕。同年岩倉使節団に二等書記官として随行。1872年外務三等書記官。1873年兼ウィーン万博事務官。同年帰国、大使事務局に出仕。1874年陸軍省七等出仕・第一局第六課。1875年参謀局第三課、司法省六等出仕・東京上等裁判所詰、六等判事。1877年大阪上等裁判所在勤。1878年宮城上等裁判所在勤、大審院詰。1879年司法省詰。同年依願免官。1885年司法省御用掛、司法書記官。1887年民事局次長、民事局長。1891年判事。1893年死去。近年の研究により、ハイデルベルク大学の学籍簿より1868年に学籍登録していたことが判明、最初の日本人ドイツ留学生であることが分かった。
参考資料
「和歌山県士族小松済治御用掛被命ノ件」(公04081100)。大植四郎『明治過去帳 物故人名辞典』東京美術、1971年、376頁。荒木康彦『近代日独交渉史研究序説』雄松堂出版、2003年。日外アソシエーツ編『明治大正人物事典Ⅰ 政治・軍事・産業篇』日外アソシエーツ、2011年、264頁。
基本語(日本語)
小松濟治
基本語(英語)
Komatsu Seiji
同義語
小松燾盛小松寿盛小松民事局次長
関連語
岩倉遣外使節万国博覧会墺国博覧会博覧会事務局大使事務局一級事務官二等書記官外務三等書記官陸軍第一局六等判事東京上等裁判所司法書記官総務局記録課長司法省書記課長民事局次長民事局長
表記ゆれ
小松済治小松済次小松済二
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