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藤倉見達

ふじくらけんたつ

解説
1851年3月4日(嘉永4年2月2日)生。膳所藩出身。1869年12月27日(明治2年11月25日)に民部省土木少佑に任じられ、以後、1871年7月2日(明治4年5月15日)工部省十二等出仕、1871年(明治4年8月)工部省燈台権大属を務め、1871年12月10日(明治4年10月18日)より工学修得のためイギリスに留学する。帰国後は、1872年4月(明治5年3月)工部省燈台寮八等出仕、1874(明治7)年12月5日工部省燈台三等上師を務め、1875(明治8)年10月25日より製作寮六等出仕・宇都宮三郎に随行してイギリス・アメリカを訪問した。1877(明治10)年1月31日工部一等技手、1879(明治12)年3月15日工部一等技手、1881(明治14)年1月7日権少技長、1882(明治15)年10月30日工部少技長、1885(明治18)年4月24日工部権大技長を歴任し、同年5月25日に工部省燈台局長に就任した。同年12月22日に工部省が廃止となり、逓信省が新設されると、同年12月28日に逓信権大技長となり、1886(明治19)3月3日には逓信省燈台局長となる。同年4月10日奏任官二等に叙せられ、同年4月12日より燈台及海路諸標位置取調委員、同年11月29日より海路諸標位置調査委員を兼務した。1891(明治24)年7月2日に奏任官一等に叙せられ、同年8月16日に廃官となる。在任中はお雇い外国人ブラントンの通訳を務め、ブラントンが解雇されたあとは燈台業務の中核を担い、燈台補給船テーボール号(テーボール船)や明治丸に搭乗して日本各地の燈台を管理した。ブラントンはその手記の中で藤倉を高く評価している。
参考資料
「元逓信省灯台局長勲六等藤倉見達勲位進級ノ件」(国立公文書館デジタルアーカイブ:任A00255100)。リチャード・H・ブラントン(徳力真太郎訳)『お雇い外人のみた近代日本』講談社学術文庫、1986年、34・113-114頁。
基本語(日本語)
藤倉見達
基本語(英語)
Fujikura Kentatsu
同義語
藤倉英昭藤倉少技長
関連語
土木少佑燈台権大属燈台寮八等出仕テーボール船明治丸一等技手権少技長少技長権大技長燈台位置選定委員燈台局長燈台位置諮詢会海路諸標位置調査委員会
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