キーワード検索キーワードの入力による資料検索を行います。辞書検索(カテゴリ)検索キーワードが登録された辞書データです。地名・人名・出来事等のカテゴリをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。辞書検索(五十音順)検索キーワードが登録された辞書データです。五十音リンクをクリックすることで、検索に適したキーワードへナビゲートします。レファレンスコード検索レファレンスコードによる資料検索を行います。過去に閲覧した資料をもう一度閲覧したい時に便利です。他機関との横断検索アジア歴史資料センターのデータベース、国立公文書館のデータベース、および他機関の運営するアジア歴史資料等のデータベースについて、横断検索することができます。地名・人名・出来事事典から検索地名・人名・出来事から、資料を検索するためのキーワード(資料作成当時に使われていた用語)を調べ、検索結果の精度を上げます。TOP辞書検索(カテゴリ)階層から検索する階層から検索する所蔵資料を省庁別等に「資料群」としてまとめました。資料群 → 簿冊 → 件名の階層構造や概要が分かります。国立公文書館外務省外交史料館防衛省防衛研究所琉球大学附属図書館滋賀大学経済経営研究所北海道立図書館北海道立文書館神戸大学附属図書館大分大学経済学部教育研究支援室スタンフォード大学フーヴァー研究所日本貿易振興機構アジア経済研究所東洋文庫新聞通信調査会山口大学図書館辞書検索(用語詳細)一つ前に戻るこの辞書データを使ってアジ歴のデータベースを検索します。藤倉見達ふじくらけんたつこのキーワードで検索解説1851年3月4日(嘉永4年2月2日)生。膳所藩出身。1869年12月27日(明治2年11月25日)に民部省土木少佑に任じられ、以後、1871年7月2日(明治4年5月15日)工部省十二等出仕、1871年(明治4年8月)工部省燈台権大属を務め、1871年12月10日(明治4年10月18日)より工学修得のためイギリスに留学する。帰国後は、1872年4月(明治5年3月)工部省燈台寮八等出仕、1874(明治7)年12月5日工部省燈台三等上師を務め、1875(明治8)年10月25日より製作寮六等出仕・宇都宮三郎に随行してイギリス・アメリカを訪問した。1877(明治10)年1月31日工部一等技手、1879(明治12)年3月15日工部一等技手、1881(明治14)年1月7日権少技長、1882(明治15)年10月30日工部少技長、1885(明治18)年4月24日工部権大技長を歴任し、同年5月25日に工部省燈台局長に就任した。同年12月22日に工部省が廃止となり、逓信省が新設されると、同年12月28日に逓信権大技長となり、1886(明治19)3月3日には逓信省燈台局長となる。同年4月10日奏任官二等に叙せられ、同年4月12日より燈台及海路諸標位置取調委員、同年11月29日より海路諸標位置調査委員を兼務した。1891(明治24)年7月2日に奏任官一等に叙せられ、同年8月16日に廃官となる。在任中はお雇い外国人ブラントンの通訳を務め、ブラントンが解雇されたあとは燈台業務の中核を担い、燈台補給船テーボール号(テーボール船)や明治丸に搭乗して日本各地の燈台を管理した。ブラントンはその手記の中で藤倉を高く評価している。参考資料「元逓信省灯台局長勲六等藤倉見達勲位進級ノ件」(国立公文書館デジタルアーカイブ:任A00255100)。リチャード・H・ブラントン(徳力真太郎訳)『お雇い外人のみた近代日本』講談社学術文庫、1986年、34・113-114頁。基本語(日本語)藤倉見達基本語(英語)Fujikura Kentatsu同義語藤倉英昭藤倉少技長関連語土木少佑燈台権大属燈台寮八等出仕テーボール船明治丸一等技手権少技長少技長権大技長燈台位置選定委員燈台局長燈台位置諮詢会海路諸標位置調査委員会上位カテゴリ工部省(官僚)このページのURL https://www.jacar.archives.go.jp/das/term/00000445