Japan Center for Asian Historical Record

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Tanggu Truce Agreement

Explanation
塘沽停戦協定は、1933年5月31日河北省塘沽で日中両軍間に締結された軍事協定である。正式名称はなく、資料や文献によって「塘沽協定」「北支停戦協定」「塘沽停戦協定」などと様々な呼称がある。1933年3月、日本軍は熱河省を占領した。4月上旬には一時的に長城線を越えて南下したが、昭和天皇の意向により撤退した。5月になると、武藤信義関東軍司令官の命令により、再び日本軍は長城線を越えて華北に進攻した。日本軍が一時的に長城線から退いた4月以降、上海で国民政府軍政部政務次長の陳儀らと上海公使館付武官輔佐官の根本博との間で停戦に関する交渉が開始された。再び日本軍が長城線を越えた5月以降、北平政務整理委員会委員長の黄郛が北平に入って日本側の公使館付武官輔佐官(陸軍・永津佐比重、海軍・藤原喜代間)らと接触し、23日には停戦へむけた合意が形成された。5月25日、河北省密雲の日本軍拠点に中国軍(責任者は北平軍事委員会分会長の何応欽)の軍使徐燕謀が派遣され、停戦条件に関する覚え書きが交わされた。5月30日と31日の2日間、河北省塘沽で正式交渉が行われた。日本側代表は関東軍参謀副長の岡村寧次、中国側代表は北平軍事委員会分会総参議の熊斌であった。最終的に、両者が協定内容を記した覚え書きに署名し、交渉は終了した。協定には、中国軍は延慶・昌平・順義・通州・林亭口・蘆台の線の以西・以南に撤退し、以後この線を越えて前進しないこと、日本軍は長城線に戻ること、撤兵地域の治安維持は中国警察が担任すること、といった内容が盛り込まれた。あくまで軍事当局者間での協定であり、「満洲国」承認問題などの外交的懸案を棚上げするものであった。
Basic word (Japanese)
塘沽停戦協定
Basic word (English)
Tanggu Truce Agreement
Synonym
塘沽協定北支停戦協定日、支停戦協定
Related words
黄郛熊斌岡村寧次永津佐比重土肥原・秦徳純協定梅津・何応欽協定満支国境諸懸案解決交渉
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