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概要

No.

[レファレンスコード]C08052383900

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[規模]4

  • [所蔵館における請求番号]陸軍省-卿官房-M9-1-17(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]門立@@@@@如シ@@実地ニ於テ施テ行ハレ@@外七@@官省別紙@込ヘ移@@政務局@省於実行ハシツハレ@取扱使之@@@御動即相成度達功能@ハ@@@ニ付至少特等至ヲ待@ブヘ御部合此第御等@ナサルベシ情@@官@人ハ@情部佐@@@@@@ヘ此命シ相成リ@候也 @@@@@御@@相成度ヘ速ニ返@@フ待ツ 山@陸軍 三十日午前一時広島鎮台ヨリ援兵一中隊山口ヘ着スルコトタ宮所ヨリ報ス 同十一時徳山ヨリ暴徒ノ掲シ檄文ヲ送ル前原一誠ヨリ徳山有志諸君ト題セリ 同午後三時@赤馬発出張所ヨリ大山@@内務少@@@少若着ヲ報ス 同四時@今明木ニ在ヨリ@市中ヘ三道ノ掲示ヲ出セリ一八暴従ノ@ヲ正三進撃スルコト一ハ暴従ニ@@セラル
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C08052384000

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[規模]4

  • [所蔵館における請求番号]陸軍省-卿官房-M9-1-17(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]十月二十七日夜第二十大区萩区長横山俊彦ヨリ木梨参要宅ヘ東紀辺紛榎ノ説アルニ付テ萩地ノ人心動揺云々事ニ付令参要ノ内@ス出萩ニテ説諭相成度取中来ル猶@@一@ヨリ西@隆@贈ル所ニス銃@請取候義ヲ届出ル書面ヲ送致シテ指令ヲ@フ 同夜萩士換八十余各時@援構@@集舎シコト相成ルニ付県庁ヨリ九@区ニ原定ニ付毎人@集会ハ形勢嫌疑ニ触是@可然ニ付@@致@@@ヲ達ス@八日午後十一時萩地@合人数山ロヘ局ントスル勢アルコトヲ探偵セシニ付萩@@右ヲ萩ニ@シ速ニ解散帰@ヲ諭サシム 同午後十一時@合@官四各ヲ率ナヒ萩地鎮守ノ為メ出@セリ又営所ニ請ヒ@時@出兵ヲナシ二中隊萩街道一ノ@ニ進ム内務@反ヒ広島陸軍ヘ之ヲ報ス 同六時
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C09083594000

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[規模]2

  • [所蔵館における請求番号]陸軍省-西南戦役第1旅団-M10-12-335(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]佐賀台湾之戦闘度数 神風党騒援ノ如キモ今般ノ戦闘度数ニ参入可致事に相成候条此旨申入候也 九月二十六日 各隊
  • 作成年月日明治10年7月6日
  • 作成者各隊
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110816300

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[規模]5

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-50(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]歩兵第八聯隊史 目次 第一章 帝国陸軍発達の概要 一、明治初年の草創時代 一 二、明治八年以後日清戦争迄 五 三、日清戦後に於ける発達 九 四、現時の我陸軍 第二章 吾聯隊の創設編成 一、聯隊の起原 一一 二、聯隊の創設 一三 三、爾後の変遷 一四 第三章 吾軍旗 一、軍旗拝受 一七 二、軍旗ノ奮戦 一九 三、感状 二〇 第四章 皇室と吾聯隊 一、今上陛下 二三 二、明治天皇陛下 二五 三、昭憲皇太后陛下 二六 四、皇太子殿下 二七 第五章 討伐 一、及出征 二九 二、萩及生雲の戦闘 三〇 第六章 西南戦役 一、西南の乱と出征 三三 二、高瀬方面の戦闘 三六 三、田原坂の激戦 三七 四、山鹿方面の戦闘 四一 五、熊本城連絡 四二 六、爾後の転戦、賊徒平定 四四 第七章 日清戦役附台湾討伐 一、開戦の理由及其発端 四七
  • 作成者帝国聯隊史刊行會
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110816900

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[規模]4

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-50(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]第五章 討伐 一、及出征 明治九年十月より十一日に亙り、長洲萩に前原一誠の乱あり。吾聯隊に対して征討の令降り、風間少佐(繁茂)第一大隊を率ゐて、之に向つた。之を以て吾聯隊の初陣とする。 前原一誠は、吉田松陰門下に在りて、久阪玄瑞、高杉東行と並び称せられたる人物であつて、松陰嘗て彼を評して、勇あり智あり、誠実は人に過ぐ、才は久阪に及ず、識は高杉に如かざるも、其の人物の完全なることは、両人亦前原に及ばずと嘆賞した程である。斯かる人物が、如何して乱を起したかと云ふに、其は恰も西南戦争の原因が、西郷隆盛と大久保利通との衡突に在つたが如くに、の原因は、前原と木戸孝允との、不和に基くと称して過言でない。然れば其の挙兵の理由は、
  • 作成者帝国聯隊史刊行會
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110817600

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件名年表

[規模]3

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-50(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]年表 明治七年 五月十四日 歩兵第八聯隊創設せらる。 十二月十八日 軍旗が授興ぜらる。 明治九年 十一月一日 第三大隊鎮定の為出発し、萩及生雲に戦ひ、二十一日帰隊。 明治十年 二月十九日 鹿児島賊徒征討を命ぜられ第二大隊出征す、同二十二日第三大隊、二十四日第一大隊出征し、爾後各所に奮戦。 十月一日 鹿児島より凱旋。 明治十五年 一月四日 軍人に勅論を下し五一のを調論し給ふ。 明治十八年 六 月淀川大出水に付大阪川筋に出動防衛を授く。 明治二十年 二月十五日 城東練兵場に於ける大観兵式に参列す、同日御名代熾仁親王御来営 明治二十三年 三月三十日 より四月二日まで名古屋附近の海陸県合大演習に参加。 明治二十七年
  • 作成者帝国聯隊史刊行會
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110818400

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[規模]5

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-53(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]歩兵第八聯隊史 目次 第一章 帝国陸軍発達の概要 一、明治初年の草創時代 一 二、明治八年以後日清戦争迄 五 三、日清戦後に於ける発達 達 四、現時の我陸軍 九 第二章 吾聯隊の創設編成 一、聯隊の起原 一一 二、聯隊の創設 一三 一二、爾後の変遷 一四 第三章 吾軍旗 一、軍旗拝受 一七 二、軍旗の奮戦 一九 三、感状 二〇 第四章 感状 二〇 第四章 皇室と吾聯隊 一、今上陛下 二三 二、明治天皇陛下 二五 三、昭憲皇太后陛下 二六 四、皇太子殿下 二七 第五章 討伐 一、及出征 二九 二、萩及生雲の戦闘 三〇 第六章 西南戦役 一、西南の乱と出征 三三 二、高瀬方面の戦闘 三六 三、田原坂の激戦 三七
  • 作成者帝国聯隊史刊行會
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110819000

閲覧

[規模]4

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-53(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]第五章 討伐 一、及出征 明治九年十月より十一日に亙り、長洲萩に前原一誠の乱あり。吾聯隊に対して征討の令降り、風間少佐(繁茂)第一大隊を率ゐて、之に向つた。之を以て吾聯隊の初陣とする。 前原一誠は、吉田松陰門下に在りて、久阪玄瑞、高杉東行と並び称せられたる人物であつて、松陰嘗て彼を評して、勇あり智あり、誠実は人に過ぐ、才は久阪に及ず、識は高杉に如かざるも、其の人物の完全なることは、両人亦前原に及ばずと嘆賞した程である。斯かる人物が、如何して乱を起したかと云ふに、其は恰も西南戦争の原因が、西郷隆盛こ大久保利通との衡突に在つたが如くに、の原因は、前原と木戸孝允との、不和に基くと称して過言でない。然れば其の挙兵の理由は、
  • 作成者帝国聯隊史刊行會
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110819700

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件名年表

[規模]3

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-53(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]年表 (表) 明治七年 五月十四日 歩兵第八聯隊創設せらる。 十二月十八日 軍旗を授与せらる。 明治九年 十一月一日 第三大隊鎮定の為出発し、萩及生雲に戦ひ、二十一日帰隊。 明治十年 二月十九日 鹿児島賤徒征討を命ぜられ第二大隊出征す、同二十二日第三大隊、二十四日第一大隊出征し、爾後各所に奮戦。 十月一日 鹿児島より創施。 明治十五年 一月四日 軍人に勅諭が下し五事を開設し給ふ。 明治十八年 六月 淀川大出水に付大阪川筋に出動防衛を援く。 明治二十年 二月十五日 城東練兵場に於ける大観兵式に参列す。同日御名代渋仁親王御来営 明治二十三年 三月三十日 より四月二日まで名古屋附近の海陸聯合大演習に参加。
  • 作成者帝国聯隊史刊行會
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110821100

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[規模]31

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-70(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]第四章 西南の役 一、西郷隆盛叛す 明治十年二月、前の近衛都督非役陸軍大将西郷隆盛九州に叛す。是より先さ、明治六年征韓問題に関して、廟議二派に分れ、西郷隆盛は憤然官を辞して郷里鹿児島に還つた。陸軍少将桐野利秋、同篠原国幹等皆辞して之に従ひ、私学校を起して、専ら郷党青年の教育に従事した。明治五、六年の頃は、維新の鴻業略は成ると共に、政治上の勢力に、一大消長を生じたる時にて、志を中央に失ひ、満々たる覇気を懐いて野に潜める者は、啻に西郷一派に限らなかつた。佐賀の乱、熊本の乱、等、皆失等の失意の士が鬱結せる満腔の不平を洩らさんとしたものに外ならぬ。西郷の挙兵は、是等の徒とは稍や其趣。を異にし事は決して西郷の志ではなかつたが、
  • 作成者帝国聯隊史刊行會
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110822000

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件名口絵

[規模]13

[種別]写真

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-76(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]軍旗 [(図)以下省略] 勝山聯隊軍旗の歌 一 戦ふ毎に勝山の 坡にかかげて誉ある 我聯隊の軍旗こそ 世に尊くも畏けれ 二 や秋月の 影さへ暗き小夜中に 閻を破りて閃めきし 軍旗の光厳めしや 三 西南急を告げし時 植木の駅の激戦に 旗手は斃れて血潮染む 軍旗は屍に埋れしが 四 事を鎮めし殊勲をば 嘉し給ひて大君の 再び授け給ひたる 軍旗は他に比類なし 五 鶏の林に風たてば 梢の鳴を静めんと 玄海灘を乗越えて 樹てし功績も幾そ度 六 東の海に波風を 捲き起したる黄龍を 屠り尽して弥ましに 皇威を輝やしあるはまた 七 東亜の空に妖雲を 掻き乱したる荒鷲の 尾羽打とめて国光を 世に照らしたる軍旗かも
  • 作成者帝國在郷軍人會本部
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110822100

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[規模]6

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-76(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]勝山聯隊史 目次 第一章 聯隊の創設と変遷 一 一、聯隊の創設 一 二、爾後の変遷 二 第二章 吾が聯隊の軍旗 四 一、軍旗授与 四 二、軍旗の行方一昨不明となる 五 三、軍旗の再授与 八 四、軍旗の名誉 九 第三章 皇室と吾が聯隊 一一 一、英照皇太后陛下の御大喪 一一 二、明治天皇陛下の御大喪 一一 三、大正天皇陛下 一二 四、昭憲皇太后陛下の御大喪 一四 五、今上天皇陛下 一五 六、其の他の事項 一五 第四章 西南の役 一七 一、秋月の乱と 一七 二、西南の役起る 一八 三、植木の初戦 一八 四、高瀬附近の激戦 二二 五、第一大隊の熊本籠城 二六 六、爾後の諸戦闘 二八 七、凱旋 三〇 第五章 朝鮮事変 三一
  • 作成者帝國在郷軍人會本部
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110822500

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[規模]14

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-76(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]第四章 西南の役 一、秋月の乱と 秋月の乱 明治五六年の交は、維新の鴻業ほゞ成るとゝもに、政治上の勢力に一大消しいを生じた時で、志を中央に失ひ、満々たる覇気を懐いて野に伏せるものにして、所在に割拠して兵を挙ぐるものが少くなかつた。明治九年十月秋月の乱起るや、聯隊の一部は出動を命ぜられ、第一大隊第二中隊は同月二十九日屯営出発、暴徒を索めて豊津に到り、一戦の下にこれを撃破し、後数十日を経て乱全く平らぐや、同中隊は無事小倉に凱旋した。 秋月の乱平らぐや同年十一月、またまた山口県下にが起つたので、聯隊は命により同月二日、第二大隊第二中隊の一小隊を、警備のため馬関に派遣したが、これ亦旬日にして乱平らぎともに大軍
  • 作成者帝國在郷軍人會本部
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14111077500

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[規模]2

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-582(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]歩兵第八聯隊史 目次 第一章 聯隊の創設及軍旗 一 一、聯隊の創設編制 一 二、軍旗拝受 二 第二章 聯隊の名誉 三 一、皇室に関する事項 三 二、聯隊の武勲 八 第三章 聯隊の戦歴 一〇 一、 一〇 二、西南戦争 一二 三、日清戦役 二二 四、日露戦役 三一 五、日独戦役 六一 六、戦場逸話 六六 第四章 雑録 七〇 一、守備隊派遣 七〇 二、出水出火の防衡 七二 三、米廃動鎮定 七三 四、善行表彰 七三 五、全国剣道大会に優勝 七四 六、歴代の聯隊長 七四 附録 七七 一、年表 七七 二、下士の優遇及志願の心得 三、在郷軍人の心得
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14111077800

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[規模]44

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-582(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]第三章 聯隊の戦歴 一、 明治九年十月より十一月に亙り、長州萩に前原一誠の乱あり。当聯隊に征討の命令下り、少佐風間繁茂第一大隊を率ゐて之に向つた。之を当聯隊初めての出征とす。 前原一誠は吉田松陰門下の秀才であつたが、此乱は当時の失政を矯めると云ふ、一種の政治運動であつて、謀反などと云ふものとは全く意味が違つて居た。それ故前原は其の当時は賊名を蒙つたのは是非もないが、後日之を除かれて旧功に依て贈位の恩典にさへ浴するに至つたのである。 前原が十月二十八日に兵を萩に挙けると直ちに、広島鎮台歩兵第十一聯隊に出征を命ぜらるゝと共に、歩兵第八聯隊第一大隊に増援の命が下つた。乃ち風間少佐は十一月一日、
  • 作成年月日明治37年2月12日
  • 作成者第四師團長陸軍中將男爵小川又次
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14111078100

閲覧

[規模]6

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-582(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]附録 一、年表 明治七年 五月十四日 歩兵第八聯隊創設せらる。 十二月十八日 軍旗を授与せらる。 明治九年 十一月一日 第三大隊 鎮定の為出発し萩及生雲に戦ひ二十一日帰還。 明治十年 二月十九日 西南戦争に出動第二大隊出発、同二十二年第三大隊、二十四日第一大隊出発。 十月一日 凱旋 明治十五年 一月四日 軍人に勅論を下し五事を訓論し給ふ。 明治十八年 六月 淀川大出水に付救援。 明治二十年 二月十五日 城東練兵場大観兵式に参列。 同日御名代熾仁親王御来営。 明治二十三年 三月三十日 より四月二日まで名古屋附近の海陸大演習に参加。 明治二十七年 八月一日 清国に対し宣戦の詔勅渙発せらる、 十一月二十六日 動員令下る。 明治二十八年
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14111084500

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[規模]20

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-585(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]第八章 平時歴史 一、と第三大隊 といふは、明治九年十月より十一月に亙りて、前原一誠等が長州萩に起した内乱を言ふので、前原一誠は吉田松陰門下に在りても、久坂玄瑞・高杉東行と並び称せられた人物で、師の松陰も、人物の完全なることは、両人前原に及ばずと嘆賞した程の人物であつた。斯かる人物が、如何して乱を起したかと云ふに、其は恰も西南戦争の原因が、西郷(隆盛)と大久保(利通)との衝突に在つたが如くに、の原因は、前原と木戸(孝允)との不和に基いたもので、挙兵の理由も、失政を矯めんとする一種の政治運動に外ならない。謀反などいふ事とは全然意味が違つてゐる。其故前原は一時賊名を蒙つたが、後日之を除かれたるのみならず、
  • 作成者帝國聨隊史刊行會
  • 組織歴陸軍省


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