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概要

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[レファレンスコード]C14110815000

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[規模]4

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-40(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]第二編 西南役 第一章 起因 西郷隆盛会々征韓論に於て岩倉公一派と議合はず官を辞して故山に帰り私学校を建てて専ら子弟の教育に従ふ、明治七年江藤新平乱を佐賀に起すを初めとし裁の乱、熊本の乱、等相続て起つた。明治十年二月薩摩の私学校の生徒等も政府当局者の施政に慊らす終に君側を清するを名こし西郷隆盛を擁して起つや熊本、佐土原、大分等の志士多く之に応じ西南の天地物情騒然たるに至つた。二月十二日隆盛一万五千の壮兵を率ゐて鹿児島を発し同月十四日熊本鎮台を包囲るに及び 天皇直ちに隆盛以下の官位を奪ひ有栖川熾仁親王を征討総督に任じ各鎮台兵に出兵を命ぜらる、即ち我聯隊本部及第二大隊は二月二十二日屯営出発、
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110820700

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件名年表

[規模]8

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-70(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]年表 明治八年 四月十五日 熊本鎮台歩兵第二十五大隊か基本として歩兵第十三聯隊を網成(二大隊@制) 熊本城四二ノ丸に屯在 九月九日 宮中に於て軍旗か授与せらる 十月六日 山峙練兵場に於て軍旗伝授式挙行 十一月十五日 陸陥軍少将東伏見宮京彰親王殿下諸@検閲 同九年 四月十五日 第三大隊増設 城南御花畑旧細川邸に分屯 十月二十四日 夜半神風党の変起り、暴徒兵営及聯隊長の宅を奇襲す 聯隊長負傷し軍旗一時敵手に落つ 勇卒隈部幸作軍旗を奪@、佐武中尉奉職中負傷して軍旗鮮血に@む 同月二十五日 午前二時全く暴徒を@退す 同月二十八日 起り、二中隊を久留米に派して警戒す 同十年 二月十五日 西郷隆盛、私学校生徒及旧兵隊、
  • 作成者帝国聯隊史刊行會
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110822100

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[規模]6

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-76(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]勝山聯隊史 目次 第一章 聯隊の創設と変遷 一 一、聯隊の創設 一 二、爾後の変遷 二 第二章 吾が聯隊の軍旗 四 一、軍旗授与 四 二、軍旗の行方一昨不明となる 五 三、軍旗の再授与 八 四、軍旗の名誉 九 第三章 皇室と吾が聯隊 一一 一、英照皇太后陛下の御大喪 一一 二、明治天皇陛下の御大喪 一一 三、大正天皇陛下 一二 四、昭憲皇太后陛下の御大喪 一四 五、今上天皇陛下 一五 六、其の他の事項 一五 第四章 西南の役 一七 一、と萩の乱 一七 二、西南の役起る 一八 三、植木の初戦 一八 四、高瀬附近の激戦 二二 五、第一大隊の熊本籠城 二六 六、爾後の諸戦闘 二八 七、凱旋 三〇 第五章 朝鮮事変 三一
  • 作成者帝國在郷軍人會本部
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110822500

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[規模]14

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-76(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]第四章 西南の役 一、と萩の乱 明治五六年の交は、維新の鴻業ほゞ成るとゝもに、政治上の勢力に一大消しいを生じた時で、志を中央に失ひ、満々たる覇気を懐いて野に伏せるものにして、所在に割拠して兵を挙ぐるものが少くなかつた。明治九年十月起るや、聯隊の一部は出動を命ぜられ、第一大隊第二中隊は同月二十九日屯営出発、暴徒を索めて豊津に到り、一戦の下にこれを撃破し、後数十日を経て乱全く平らぐや、同中隊は無事小倉に凱旋した。萩の乱 平らぐや同年十一月、またまた山口県下に萩の乱が起つたので、聯隊は命により同月二日、第二大隊第二中隊の一小隊を、警備のため馬関に派遣したが、これ亦旬日にして乱平らぎともに大軍
  • 作成者帝國在郷軍人會本部
  • 組織歴陸軍省

No.

[レファレンスコード]C14110823300

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[規模]50

  • [所蔵館における請求番号]中央-部隊歴史連隊-76(所蔵館:防衛省防衛研究所)
  • [言語]日本語
  • [内容]附録 年表 明治八年 四月一日 聯隊創設(二大隊編成) 九月九日 軍旗授与 同九年 四月一日 第三大隊編成(福岡分屯) 十月二十九日 に一中隊出動 同十年 二月十四日 鹿児島地方暴動鎮圧のため熊本へ急行 同十九日 第一大隊左半大隊熊本城に入る 同二十二日 植木の激戦、旗手戦死軍旗行方不明となる 九月二十四日 乱全く平定 十月二十三日 小倉に凱旋 同十一年 一月二十一日 戦功により再び軍旗を授与せらる 三月九日 宝庫岡分屯の第三大隊小倉に合す 同十五年 八月七日 第二大隊公使を護衛して朝鮮に向ふ 九月二十四日 第四中隊を残置して第二大隊帰営 十月二十五日 第二大隊第四中隊京城より帰営 同十七年 十二月二十七H 聯隊(第二大隊欠)全権大使を護衛して朝鮮に向ふ
  • 作成者帝國在郷軍人會本部
  • 組織歴陸軍省


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